イギリス人フォトグラファーのジョナサン・ワース、2008年に他界した俳優のヒース・レジャー、そしてTAKAHIROMIYASHITATheSoloist.の宮下貴裕。三者による限定のTシャツが、 7月2日(土曜日) 12時より タカヒロミヤシタザソロイスト 青山店金沢店福岡店に加え、公式オンラインサイトにて限定数量で販売を開始します。


2001年、ニューヨーク・バワリーでジョナサンによって撮影されたヒースの未公開写真が用いられているだけでなく、ジョナサンが回想する撮影時のエピソードから引用したフレーズが プリントされています。ポラロイドフィルムのリアルな質感を表現すべく、特殊な加工を施す ことにより、奥行きのある立体的なプリントを実現。左袖にはタバコを入れてロールアップ し、スナップボタンで留められる仕様のシガレットポケットが取り付けられており、そこに は「I AM HEATH LEDGER.」とプリントされています。


ブラック と ホワイト の2色、サイズは 44 / 46 / 48 / 50 / 52 / 54 の6サイズ展開。

 

商品一覧

 

 

 

 

ジョナサン・ワースによる撮影時のエピソード

ジョナサン・ワースによる撮影時のエピソード全文(日本語訳) ヒース・レジャーとの撮影:2001年の寒い季節、NYのザ・バワリーで。/ジョナサン・ワース

ヒース・レジャーの撮影には小さな思い出がたくさんあって、それがあの撮影を特別なものにしている。まず——彼は 時間通りに、一人でやってきた。急がずにゆっくりと。

そして彼は最初に、雑誌が用意していたヘアメイクの男性に、何も必要ないよ、と言った。大したことじゃないかもし れないが、自分が経験したなかで、現場でそう言ったのは二人だけ。ヒースと、もう一人がケイシー・アフレックだ。

ヘアメイク係は気にしなかった。ギャラがもらえて、早く帰れるなら。でも彼は一応ヒースに、「頬のしみはカバーし なくても大丈夫?」と訊いた。

ヒースは「なんで? 大丈夫だよ——僕にはしみがあるし、人にはしみができるもんだし」と答えた。

その会話がある意味、ムードを決めた。彼は礼儀正しくて、ごく自然で、でも彼自身の強い意志を持っていた。

私はすぐにヒースが好きになった。

私はドキュメンタリー写真家として訓練を受けたので、スタジオやヘアメイクなどをほとんど使わない。いつでも人と 一緒に、人の写真を撮りたいと思っていた。その出会いをドキュメントしたいと。それは一つの会話だ。撮影された写 真を見ると、人々の顔や振る舞い、カメラやフォトグラファーとの近さから、一つの関係性ができていくのがわかる。

ヒースはそのプロセスを簡単にしてくれた。私が用意したセッティング以外の場所、その合間に最高の写真が撮れたほ どに。文字通り、私たちがあるスポットから別のスポットに歩いていたり、私がフィルムを替えたりしているときにそ れは起きた。ある時点で私たちは通りの角にいて(当時は荒れたエリアだったが、いまはジェントリフィケーションさ れている)、私は(機材が盗まれないように)しゃがみこんでフィルムを替えていた。するとヒースがぐっと体をいっ ぱいに伸ばした。私は彼にそのまま、と呼びかけた。「それ撮らなきゃ!」と——すると彼は笑って、でもまた伸びを してみせた。そしてくるっと回って、体を後ろに反りかえらせた。

ごくランダムに。でも楽しく。

その間ずっと、そこには私と、当時のアシスタント以外には誰もいなかった。セキュリティもいなければ、お付きのア シスタントもいない。マネージャーも。駆け引きやハッタリもなし。

それは本当に楽しい一日だった。彼の死を知って、私たちは心を痛めた。いまでもときどき話すほどだ。私はいま当時 のアシスタントと結婚していて、彼女は最後のコンタクトシートに姿を見せている——カメラの中に残ったフィルムの 最後のいくつかのフレームで、私は彼女を撮ったのだ。私たち三人はあの最後のコンタクトシートに刻まれている。20 年前のあの短いひとときから、二人は私を見つめている。

追記:たまたま私たちの友人がブルックリンのバーで働いていて、そのバーのオーナーがヒースの古い友人のジャッド だった。ヒースは友だちがバーを買うのを手助けしたのに、生前そこで食事をするチャンスがなかったのだという。 バーのオープン時に、私はあのときの撮影から一枚プリントをもらえないか、と頼まれた。その写真はいまも毎年、彼 の命日にそのバーに飾られているという。

 

 

ガヴィ(アシスタント)による回想。

 

 

 

Jonathan Worth / ジョナサン・ワース
イギリス出身。写真家、教育者。大学卒業後、スティーヴ・パイクのアシスタントとしてイギリスとNYで 活動。独立後、『ニューヨーク・タイムズ』誌、『ヴォーグ』誌、『ニュー・サイエンティスト』誌など で活躍。日本の音楽誌『スヌーザー』でも多数の撮影をしている。これまでにジュード・ロウ、ヒース・ レジャー、ヴィヴィアン・ウェストウッド、デーモン・アルバーン、デヴィッド・ベッカム、ソニック・ ユース、ニュー・オーダーなどを撮影。2009年にはコヴェントリー大学で写真のオープン・クラスを開 設。ソーシャル・メディアやネットワークで受けられる授業も始め、「革新的な教育アプローチを開発し た」として高等教育機関国立教職フェローとなる。現在、英国王立芸術協会フェロー。

 


Heath Ledger / ヒース・レジャー
オーストラリア出身。俳優。ジェイソン・ブルーム1998年映画『恋のからさわぎ』でハリウッド・デ ビュー。アン・リー2005年映画『ブロークバック・マウンテン』でアカデミー主演男優賞にノミネート。 2008年、急性薬物中毒により他界。死後に公開されたクリストファー・ノーラン2008年映画『ダークナ イト』で演じたジョーカー役が絶賛され、アカデミー助演男優賞を受賞した。

 


Takahiro Miyashita / 宮下貴裕
1973年東京都生まれ。服飾学校には通わず、独学で洋服作りを学ぶ。株式会社ネぺンテスで企 画バイヤーなどを経た後に独立し、1996年11月にKOOKS CO.,LTD. を設立、「NUMBER (N)INE」を発表する。2001年秋冬シーズンより東京コレクションに参加し、2004年秋冬シーズ ンよりパリ・ファッション・ウィークに参加。2009年2月20日、2009年秋冬シーズンを最後に NUMBER (N)INEを脱退、解散を発表する。2010年7月、デザイナーとして再スタートを切る 「TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.」の2010年Winterコレクションを展示会形式で発表。2011 年9月9日には青山にTAKAHIROMIYASHITATheSoloist.初のストア「grocerystore.」(現在は 「TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.AOYAMA」に改称)をオープンさせる。2018年春夏シーズ ンにはTAKAHIROMIYASHITATheSoloist.として初のランウェイショーを東京で発表し、2018年 1月には第93回Pitti Immagine Uomoのメインゲストデザイナーに選ばれ、フィレンツェにて UNDERCOVERと共に2018年秋冬コレクションの合同ショーを開催。そして2019年1月15日、 2009年振りにパリ・ファッション・ウィークの公式スケジュールに復帰し、2019年秋冬コレク ションのランウェイショーを開催する。